福岡 春日原野球場跡


福岡県春日市にはJRの駅の南西に立派な春日公園野球場があります。
両翼93m、中堅116m 収容人員1万人 [1]
ソフトバンク主催の二軍戦などが度々行われていますので、関西から遠征する二軍好きの阪神ファンも友達にいます。

この福岡県春日市に球史に残る福岡エリア初の本格的な野球場「春日原球場」がありました。  (注)小倉には門司鉄道管理局の到津球場がありました。

春日市史によると
春日原駅西側一帯は1924年の九州鉄道創業時から宅地開発計画があったが、不況で需要が見込めず、5,000人を収容し九州野球のメッカといわれた春日原球場や陸上競技場、テニスコートに転用された。
西鉄の前身の九州鉄道が駅周辺での宅地開発事業を計画したが昭和不況で頓挫して遊園地となったようだ。
野球場は平和台球場が出きるまで九州のプロ野球興業の中心となっていました。
さて、春日原野球場ですが1948年の航空写真にて確認することができました。[2]

西鉄の春日原駅とJR春日駅の間に大きな池と野球場と陸上競技場らしきトラックが見えます。
竜神池を半分埋め立てて宅地にする予定が不況のために買い手がつかずに野球場や陸上競技場を作り、半分残った竜神池は当初貸しボートなどを浮かべた遊園地となっていたが1933年に閉鎖された。
そもそも電鉄会社が沿線に行楽地を経営する手法は南海が浜寺や大浜で始めたもの。阪神の鳴尾百花園や香露園などを経て、小林一三が阪急宝塚線で大成功を収めてから全国に広がった。大正末期には関西で近鉄あやめ池遊園、金澤に栗ケ崎遊園、東武の兎月園、京成の谷津遊園など全国各地で遊園地建設ブームがおこっていた。
九州鉄道も小林一三の成功を見て遊園地を建設したのだが、阪急の宝塚新温泉と言うよりもスポーツ施設中心で阪神の甲子園に近いイメージだ。

さて、2009年現在の地図によると竜神池は北東の一角を残して埋め立てられ、野球場周辺はすべて住宅地になっているようだ。1954年に西日本鉄道から昌栄土地に移管された春日原経営地は住宅地へと生まれ変わりました。
天神から西鉄に乗って現地に向かいました。

駅前にある竜神池は半分は埋め立てられずに残っており、西側は春日原駅用の自転車置き場になっている。撮影した私が立っている側が野球場だった側の場所で右手に春日原駅があります。竜神池の南側が直線的で不自然なのは埋め立てた境界によるものだからですね。

現地には野球場を思わせるものは何一つ残っておりません。
JRの春日駅は平成になってから出来たようなので野球場の歴史にはなにひとつ関与しないのですが、町の繁華街なども春日原駅周辺を中心に展開していてJRのまわりには何もありません。
竜神池の南側が野球場のあったエリアですが平坦な住宅地となっています。


1936年に職業野球ができてから九州遠征のオープン戦などでしばしば利用されていた春日原。主に小倉・春日原・水前寺のルートで遠征することが多かったようです。
1950年、セントラルリーグの西日本が新しい平和台球場を主に利用し、パシフィックの西鉄が春日原や香椎を利用していたようです。春日原球場のセントラルリーグ唯一の試合は1950年の阪神大洋戦でした。これは当時下関に本拠地を置いていた大洋の主催のイメージで春日原・下関・徳山の3連戦でした。

制定 2009年8月16日

参考文献
[1]BB MOOK338 球場物語,ベースボール・マガジン社,2005年
[2]国土地理院 国土アーカイブシステム 1948年 米軍撮影

げんまつWEBタイガース歴史研究室