川鉄津門グランド


酒蔵通りを甲子園から西に向かって走ると、車で1〜2分の所に今津の津門という中州があります。ここに野球場があります。この場所で60年代にタイガースの練習が時々行われたという噂が地元ではありました。
現在の正式名称は「津門中央公園グランド」、主に草野球やボーイズリーグの試合に使われています。元々川鉄グランドという名前だったのですが、いつどうしてこの名前になったのか、そのうち調べてみます。今でも「川鉄グランド」と表記した地図が数多くあります。この球場は川崎製鉄が野球部の活動用に建設した球場です。
現在は周辺に公園が整備され、公園の中の球場というような位置付けです。この公園は以前はなかったような気がしますので地震以降に整備されたのでしょう。意識して近づく事がなかったため、よく覚えていません。

外から見ると汚い金網に囲まれた古い球場ですが、立派なスコアボードと、内野に観客席がある立派なグランドです。スコアボードは平成になって更新されたので、外野のフェンスの汚さに比べて不釣り合いな程、すばらしい物です。
正式な資料で確認をしてはいないですが、1950年代にすでに現在の位置にグランドがあったようですから50年を越える歴史ある球場です。甲子園からは近くて便利ですから、おそらくプロ・アマが断絶するまではタイガースもしばしば利用したのでしょう。

「阪神タイガース 昭和のあゆみ」の1961年高知キャンプの項に「2月頭から投手は川崎重工グラウンドにて体作り重点のトレーニングを行ってから」との記述があります。川崎重工のグランドはこのあたりに見当たりませんので、津門の川崎製鉄グランドの事だと思われます。


2003年4月3日更新
関東在住 イタミさん から、メールを頂きましたので紹介します

西宮今津の川崎製鉄グラウンド、確かにありました。既に川鉄から西宮市に寄贈 されたと思います。(川崎重工ではなく川崎製鉄です) 昭和35,6年だったでしょうか、私はこのグラウンドのでタイガースの練習を 目撃しています。たまたまここに来ていた選手たちの中で、何故か土井豊、石川良照といった投手たち(決して一流ではない・・失礼・・)を思い出します。その意味で、(川鉄グラウンド使用は「地元の噂」ではなく)事実です。 当時、私は小学生で、自転車で甲子園に行って練習を見に行ったものです。 自宅から甲子園までの途中に、この川鉄グラウンドがあり、時にはタイガースの 練習を目にしました。 川鉄グラウンドは常時借用したものではなく、「どうしようもない時」に借用したのだと思います。だって、他に何の設備もないんですから(更衣室、シャワー など)

続いて、魚崎にすんでいたオザキさんからメールです。1962年生まれとの事なのですが、魚崎にあった川重のグランドで阪神が練習していたとの情報です。

はじめまして。川鉄球場のところにあった「川重球場」ですが、現在はなくなっていますが、神戸東灘にありました。国道43号線の「瀬戸」交差点を南に折れたところの「瀬戸公園」が昔は野球場と体育館があった川重の運動施設でした。今は軟式野球用の普通のグランドになっています。当時はスタンド付で外野に芝生、スコアボードもありました。(阪神青木駅の南側です)私はこの近くの魚崎に住んでました。自転車に乗って川重野球部の練習を毎日のように見に行ってました。私の思い出の地でした。阪神の2軍が練習にくることがあるとは聞いてましたが実際には見たことはありませんでした。川重と山口高志のいた関大の試合を覚えています。現在の新しい野球場より昔からの野球場に私は惹かれます。神戸市民球場の写真には「ほー」と見てしまいました。選手名簿にある「大串」、「外山」は私の1学年上の先輩です。キチンと載せていただいているのでとても喜んでおります。

ややこしくなってきましたので、他に情報あればどんどんお寄せください。


制定:2002年

参考文献: 阪神タイガース発行 阪神タイガース昭和のあゆみ

げんまつWEBタイガース歴史研究室