甲子園球場年表


大正時代

1922年

10/30 兵庫県と枝川・申川の川床224,000坪の払い下げ契約を締結。具体的な開発計画がスタートした。

1923年

鳴尾球場での甲陽中学と立命館中学の準決勝で、押し寄せた観客がグランドになだれ込む事件が発生。
狭さが問題となり、新球場の整備が急務となった。
08/30 枝川・申川の川床224,000坪の所有権移転登記
11/28 阪神電鉄が枝川川床に球場建設を決定。

1924年

甲子園球場の着工と完成
03/11 地鎮祭
03/16〜07/31 建設工事
08/01 竣工式 「甲子園大運動場」と命名された
中堅118m 両翼109.7m 右中間左中間128m

08/13〜 第10回全国中等学校野球大会を開催 (これ以降、高校野球のメッカとなった)

12月 コンクリートの外壁にツタを植栽

1925年

春 スコアボード完成(1933年まで使用)
03/31 第2回全国選抜中等学校野球大会を開催した (初の甲子園での選抜大会)

1926年

07/01 甲子園線の甲子園−浜甲子園が開業し、球場の前に電車が走る。
07/16 橋梁の場所に設置されていた臨時停車場の阪神電車甲子園駅も常設の駅となった

昭和時代

1927年

08/13 中学野球のラジオ実況放送が始まった(現在の様な実況席はまだない)

1928年

12月〜 翌年2月までの間で 外野芝生の張付けを行った

1929年

07/20 内野東スタンド・西スタンド(以下:アルプススタンドと表記)を改築
     木造スタンド20段から鉄筋コンクリート造で50段・高さ14/3mとなった
     これによりホームベースの位置をバックネット寄りに移動、両翼は狭くなるもセンターはさらに広くなった。

1931年

07/18 アルプススタンドに鉄傘完成 (現在はない)

1932年

10/01 西スタンド1階に室内運動場が完成(戦時中に廃止)
     東スタンド1階に長さ25mの温水プールが完成(37年甲子園プールの完成により廃止)

1934年

03月 外野席中央に機械駆動式のスコアボードが完成 (1983年まで使用)
     阪神電車の自動扉のメカニズムを応用した画期的な装置だった
08/11 駅前に20回記念野球塔設置 (現在の甲子園警察署付近にあったが、昭和30年代末に撤去された) 
11/24〜11/25 アメリカ選抜チーム(ベーブ・ルースら)が甲子園で全日本軍と対戦

1935年

09/17 巨人対全大阪の試合を開催 (細野支配人が観戦した事でタイガース設立のきっかけになった)
12/10 大阪野球倶楽部(通称 大阪タイガース)誕生 

1936年

04/19 金鯱軍とセネターズを迎えて「大阪タイガース球団結成記念試合」を開催
04/29〜5/04 初の職業野球興行、「第一回日本職業野球リーグ戦」を開催
09/12 初の阪神阪急定期戦「第一回タイガース−阪急BK杯争奪定期戦」を開催

11/11 外野スタンドを鉄筋コンクリート50段に改築(ヒマラヤスタンド)
     外野前列がグランド側にはみ出し、現在の面積となった
     スコアボード前の貼り出した部分にはバックスクリーン設置

1937年

03/12 大阪タイガース結成一周年試合を金鯱軍と行う
11/20〜23 初のオールスター戦、「第一回職業野球東西対抗戦」を開催
12/25 タイガース「全日本職業野球優勝記念紅白戦」を開催

1938年

01月 全日本スキージャンプ甲子園大会開催

1940年

野球連盟理事会により敵性語の英語表示をすべて取り外し、日本語に書き換え

1941年

08月 夏の中学野球は予選で中止され、甲子園大会は行われなかった
第一回阪神、巨人、阪急リーグを開催

1942年

08月 文部省主催で幻の甲子園大会と言われた中学野球「大日本学徒体育振興大会」を開催

1943年

08/06〜11/21 大鉄傘を軍需用に供出
    球場以外の甲子園地区娯楽施設は取り壊され、川西航空機の工場になった

1945年

01/01〜01/05 戦前最後の職業野球・関西正月大会を開催した
04月 外野グラウンドが軍用トラックの駐車場となった。
05月 グランドが芋畑となった
08/06 西宮大空襲の被害を受けた

10/03 敗戦によりアメリカ軍が甲子園球場を接収した

1947年

01/10 グラウンドとスタンドが接収解除となった 職業野球にも使用開始
03/30 選抜大会復活 
05/26 外野にラッキーゾーン新設(木製)
08/13 夏の中学野球大会も復活
09/   ラッキーゾーンを曲線形状に変更
甲子園復活を祝うように大阪タイガースがダイナマイト打線で優勝

1949年

    球場の文字表示を右書きから左書きに変更

1950年

03月 ラッキーゾーンを固定式に変更

1951年

08月 内野スタンドに大屋根(銀傘)が復活

1953年

08/13 初めてのテレビ中継放送(高校野球)

1954年

03/31 球場全面的に接収解除、スタンド下をタイガース合宿所として使用(翌年まで)
     復帰を記念してスコアボード中央に時計を設置
04/17 対読売戦で初のプロ野球TV中継

1956年

04/26 ナイター設備が竣工した 
05/12 初めてのナイター試合を興行(阪神−巨人戦) 
06/27 中日戦で甲子園球場初のナイターTV中継

1957年

    スコアボードのストライク・ボールの表示を自光式に変更

1958年

    ナイター興行により自動式のスコアボードを手動対応に改修

1959年

03/02 ミスタータイガース藤村富美男選手の引退試合が開催された

1962年

03月 球場東隣にタイガース合宿所「虎風荘」を設立
    スタンドトイレのタイル貼り化(2年計画)
10/12 日本シリーズ 阪神−東映を開催

1963年

03月 内野指定席を全席プラスチック製に変更 内野スタンド上下に通路増設
    スコアーボードに「ホームラン」「HOMERUN」のネオン灯設置

1964年

02/14 球場名を甲子園球場から阪神甲子園球場に変更した 
03月  アルプススタンド下に雨天練習場を新設
09/30 阪神タイガースの優勝が甲子園球場で決定した
10/10 日本シリーズ 阪神−南海 が開催された

1973年

03/21 二代目ミスタータイガース村山実氏の引退試合を開催
10/22 甲子園球場での最終戦で巨人に敗れて優勝逃し、ファンが乱入、巨人選手に暴行
    (後にスタンドの金網が高くなる原因となった事件)

1975年

05/06 路面電車甲子園線の廃止。

1976年

3月 特別指定席改造 一塁側にレッドシート新設
   ラッキーゾーンを後退させて両翼91mに変更、右中間左中間は1mグランド側に出る。

1977年

3月 サロン「蔦」改造 三塁側にオレンジシート新設

1978年

3月 内野指定席 レッドシートをイエローシートに改造
   第二室内練習場新設
    オーディションで選ばれたチアガールが黄色のユニフォームで登場

1979年

03月 外野スタンド座席の改造 バックスクリーンにトライビジョンを新設し「ホームランおめでとう」を表示
    1塁ダグアウト前から3塁ダグアウト前まで人工芝を敷設
    ダグアウト裏に更衣室を新設 浴室改装 ミーティングルーム・OB室新設
    内野1・2階設備改良
    7号門横にタイガースショップ1号店をオープン

1980年

03/17 内野1階食堂街の若返り補修完成
    ボックス席を木製から肘掛付き椅子(樹脂製)に取替え
    一塁ボックス入場は5号門、三塁ボックス入場は10号門に変更
    球場基本色をグリーン・イエロー・ブラックに制定
    5号門横と8号通路、10号通路の合計3箇所にタイガースショップをオープン
    甲子園駐車場でヒルトンにファンがタマゴを投げつける「ヒルトン事件」がおこる

1981年

03月 内野3階通路の売店・食堂街若返り工事 内野2・3階のアルミサッシ化
    アルプス席座席改造、強化プラスチック製 座席数11645席
    外野3階便所(4箇所)改造
    待ち合わせ広場新設
    団体入場券制度(30名以上で割引)導入

1982年

02月 銀傘全面ふきかえ 鉄柱・付属物・照明塔の塗装作業
    バックネットをステンレス製に改造(網目5×10cm) 
    アルプススタンド通路階段若返り補修 アルミサッシ化 売店食堂模様替え

1983年

02月 外野席通路・階段若返り補修 2・3階窓枠のアルミサッシ化 通路の売店カウンターを移動式ワゴンに変更
    スタンド仕切り枠をすべてバックネットと同じステンレスに改造
    11号門西側売店新設

1984年

03/06 新(電光式)スコアボード完成 外野指定席増設
     球団事務所が大阪梅田からライトスタンド下に移転

1985年

02月 内野一塁側スタンド改造・座席更新 
3/21 ライトスタンド下にタイガース資料館オープン
4/17 タイガース快進撃、伝説のバックスクリーン3連発
10月 日本シリーズ 阪神−西武 開催
     トラッキー誕生

1986年

3月  内野三塁側スタンド改造・座席更新 外野フェンス改造
    カン・ビン持込自粛 紙コップうつしかえへの取り組み開始

1987年

2月 グリーンシートを上段まで拡張、座席間隔を広く変更  ライト全席とレフト上段は長いすから個人席に
11/27 バックネット裏に藤村シート設置

1988年

02月 ラッキーゾーンを最大2.5mスタンド側に移動させて両翼を拡大
    外野中央門周辺を整備し待ち合わせ広場と休憩所を新設 レストランPRAD設置
10/10 掛布雅之氏引退試合

平成時代

1990年

03月 阪神甲子園駅前にモニュメントを新設し、化粧タイルなどで改良工事

1992年

03月 ラッキーゾーンを撤去
    ブルペンを内野スタンド前に移動し、リリーフカーを廃止
    新庄フィーバーで虎風荘から球場への安全な移動が困難となった

1993年

03月 スコアボードをカラー化
    1塁側インターロッキング舗装で全周がインターロッキングとなる
    鉄骨補修・ナイター投光器更新一期
    北側外壁のネオンサインが緑地に白となる

1994年

03月 3塁室内練習場横にレントゲン室を設置
    1塁内野席食堂をカフェテリア形式に変更、ナイター投光器更新二期
    業務用駐車場二階建化、43号北側造園
07/31 開設70周年記念「70thメモリアルナイター」開催 この日は真弓明信2000試合出場
10月 開設「70周年」を記念し、「甲子園大運動場建設記念碑」建設 

1995年

01/17 阪神・淡路大震災によってアルプススタンドに亀裂が入り、補修補強工事実施
3月  ナイター投光器更新三期
     ウェーブによる応援が禁止となる
11/11 阪神タイガース「球団創立60周年阪神巨人OB戦」を開催

1996年

     スコアボードにアニメーション「炎の五回裏」登場 
08月 プロ野球実況中継「バーチャル甲子園」をインターネット上で発信した (99年まで)

1997年

     スコアボード左側を明るい新型ブラウン管に変更

1999年

     ブルペンをアルプススタンド下に移設 ダイハツ製のボール型リリーフカー登場

2002年

02月 内野指定席(上段部分)のシートリニューアルし、グリーンシート・イエローシート・オレンジシートに改造した
    よって55千人→53千人に定員減

2003年

03月 全面禁煙とした
     甲子園競輪・阪神パーク閉園によって駐車場なし
     新室内練習場着工計画立上げ

2004年

02月 新室内練習場完成(旧甲子園プールの場所)

2006年

    缶ビン持込全面禁止が徹底された。球場入場門の前に仮設テントで検査場を設置。

2007年

03月 一塁側室内練習場横にクラブハウス完成
10月 甲子園改築工事開始

2008年

03月 内野スタンド改築にてアイビーシート完成 内野スタンド内売店・食堂も一新された
06月 6日内野席とアルプスの通行が可能となる
10月 銀傘撤去
12月 新しい銀傘が取り付けられた

2009年

03月 外野スタンド・アルプススタンド・照明塔・銀傘のリニューアル工事完了
06月 新型インフルエンザ流行のため24日よりジェット風船打ち上げ自粛