徳島のタイガース遠征史


神戸から近い徳島。大阪の電波が入り、四国4県の中で関西弁文化圏に属する徳島だけに阪神ファンが数多くいる土地だ。しかし親会社が徳島航路に接続する南海ホークスが徳島で度々試合を行っていたように興行権の影響でタイガースの遠征は数少ない。

徳島に初めてタイガースが訪れたのは1940年正月明けオープン戦。正月の遠征を南海軍と共に四国からスタートし、その第一戦が西の丸運動場で行われた。

1940年1月9日 徳島 タイガース14−11南海

場所は西の丸運動場、1929年に日本有数の陸上競技場としてオープンした。陸上競技場とはいえ、プロ野球の公式戦も行っている。形は長方形だがスタンドは野球のスタンドのように90度に開いた形状。蔵本球場ができるまで県内の主力球場でしたが解体され、跡地は78年から内町小学校になっている。
1947年3月30日に阪神・阪急・大陽がリーグ戦を行った記録もある。
げんまつブログ:西の丸運動場
1957年の春季キャンプは徳島蔵本で行った。
藤村監督排斥事件の直後、合宿を行ってチームの団結を高めようという理由で、甲子園で基礎訓練を行った後、2月15日から徳島に移動した。
蔵本公園球場は1952年に歩兵43連隊の跡地に作られた。敷地面積が広い立派な野球場、
野球場自体はよかったのだが、2月の徳島は午前中に霜柱が立つほど寒く、また日のかげりも早く、キャンプ地としては必ずしもふさわしくなかったようで、小山正明氏などは度々その事を話題にする。
宿舎は徳島駅前の阿波観光ホテルだった。

徳島蔵本でのオープン戦は1960年と1968年に行った。
 1960年3月22日 タイガース8−4南海  勝 石川
 1968年3月23日 タイガース2−3南海  敗 バッキー

訪問記:蔵本球場

徳島県営鳴門総合運動公園野球場は1973年12月にオープン。もともと塩田だった所に球場が出来た。徳島県高校野球のメイン球場。

鳴門球場完成翌年の1974年、および1992年ににオープン戦が開催されている
 1974年3月21日 タイガース7−10太平洋  敗 小川清一
 1992年3月25日 タイガース2−0オリックス 勝 仲田幸司

航空写真は1974年撮影で、完成してから間もない頃の運動公園を撮影している。球場施設周辺はまだ開発中だ。現在は右翼左翼が拡張されている。
JR四国 鳴門線鳴門駅から2km
タイガースは四国4県のうち唯一徳島県で公式戦を開催していない。

徳島県営鳴門

国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省  http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/

改訂 2008年2月

げんまつWEBタイガース歴史研究室