大阪の球場とタイガース


藤井寺球場
近畿日本鉄道が建設した球場で藤井寺駅前にあった。
公式戦全3試合でその初試合は1946年4月30日
しかしながらオープン戦では1936年5月9日に使用してた。
両翼97.6m 右中間左中間110m 中堅120mと広く、1953年にはラッキーゾーンが設置された。
後楽園球場が出来る前に作られた日本の球場はどれも広く、日本の球場が狭くなったのはひとえに後楽園の仕業だ。
また鉄傘は1943年に供出するなど、甲子園球場と似通った経歴を持つ。
藤井寺ナイター訴訟の影響でナイター設置は1984年とかなり遅かった。
ライトスタンド下には近鉄球団の合宿所があった。 
近鉄球団が大阪ドームに移転したあとも2軍球場として使用されていたが、近鉄球団が消滅した2005年に球場は解体撤去された。
日生球場
日本生命の野球場。阪神タイガースの公式戦を41試合行った。1955年の二軍キャンプを行うなどよく使われた球場。
初試合は球場が完成した直後の1950年9月26日。
両翼90.4m 中堅116m 後楽園球場よりはかなり広かったが関西では狭い球場の代表格だった。
とにかく近くで野球を観れる楽しい球場。外野のフェンスも低かったので飛球を野手の目線で追えた。
近鉄バファローズの準ホームグラウンドとして藤井寺球場にナイター施設が完成するまでは非常によく利用されていた。
大阪府の高校球児はここで決勝戦を戦って、勝てば甲子園に行ける関門だった。
球場には森之宮バッティングセンターが併設されていた。
狭い球場で近くには家が迫っていたが川崎ほど圧迫感がなかったのはスタンドが土盛で緑豊かだったことと、隣に大阪城があったことによる。
大阪球場
南海ホークスのフランチャイズとして建設されたがナイター設備のない甲子園球場に代わって公式戦106試合を行った。
初試合は1950年10月3日。
大阪の南の玄関と言われていた難波駅前の一等地にあり、大阪スタジアム またはナンバ球場と言われた。
両翼91.5m、中堅115.8mと日生球場と変わらないが外野のフェンスが5.5mもあった。
スタンド下はナンバスポーツセンターとしてプール、ローラースケートリンク、卓球場、ボウリング場、ビリヤードなどを併設していたほか、場外馬券もありまさに大阪のパラダイスだった。
大阪球場では完成当初、フランチャイズの南海の他、関西球団だった松竹とナイター設備を持たなかった阪神がこぞって試合を行った。ホークスと人気のあるタイガースの試合を優先したため松竹の試合は不利な曜日に配置され、松竹の経営が悪化することとなった。それゆえ松竹は球団を手放して大洋となり、1954年に川崎球場へと移転していったのだ。しかしタイガースも1955年に甲子園球場にナイター設備が完成すると大阪球場から撤退。大阪球場が最も華やかだった5年間は終わった。

大阪ドーム
初試合は1997年5月7日
設立当初は阪神電鉄も出資した第三セクターが経営していたが倒産。現在はオリックスが保有し、京セラドーム大阪と呼ばれるようになった。観客席が縦に圧縮された構造なのでグランド面積はナゴヤドームと同じながら非常に狭く感じるのが不人気の理由。
どちらかといえばコンサートホールとしてのほうが優秀。
大阪近鉄の本拠地だったが、現在はオリックス球団の中途半端な本拠地として利用されている。
阪神電鉄西大阪線が開通すると大阪ドーム前に駅が完成して便利になるはず。

政令指定都市堺は別枠
なかもず
堺大浜


航空写真
藤井寺・日生・大阪 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省  http://w3land.mlit.go.jp/WebGIS/
大阪ドーム 国土地理院撮影航空写真 大阪府大阪市大正区 平成11(1999)年撮影

げんまつWEBタイガース歴史研究室