伝法

大阪市此花区 数説あるが、この地に中国から仏法、経典などが舟で伝わったことから伝法と呼ばれているようだ。


大正13年1月、伝法線と呼ばれていた西大阪線の開業時に仮の始発駅となった駅です。同年8月には千鳥橋駅まで全通したため、7ケ月間の終着駅でした。
淀川河川改修の計画があり、橋梁とホームのかさ上げ工事が行われる予定でしたが、現在まで着工されず、開業当初のままの姿を残している駅です。
駅前の道路の線路下は非常に狭いが、これは駅前に伝法川が流れていたためです。昔、伝法が港として栄えていた頃、千鳥橋のやや西の正蓮寺川から分岐して新淀川に流れていた伝法川がありました。この伝法川が高潮のたびに氾濫するので1951年、廃川となって埋め立てられました。江戸時代は伝法川は港として栄えていたのでした。駅前を北に進むとカバヤ食品があります。

新淀川の堤防から伝法駅を眺めます(写真2)。
左手の伝法小学校と比較すると、駅の高さは2階より高いことがわかります。淀川の堤防は高潮対策で高く設定されていて、堤防の高さにあわせて築堤が築かれている。だから高いのです。
とはいえ、このあたりは地盤沈下によって生じたゼロメートル地帯。2m近く土地が下がっており、その分防潮堤は2mほどかさ上げされました。阪神電車の線路は建設当時のままの高さなので、鉄道と 横を走る国道43号線の所のみは防潮堤が切り取られ、可動式の扉が設置されています。このため、西大阪線は高潮警報が出ると扉が閉まるので運転中止になります。

伝法大橋をわたる西大阪線。
地盤沈下により水位が高くなっている新淀川、写真を見ても川の水位が高いことがわかります。西大阪線に乗車すると淀川を越えるどの道路や鉄道よりも目線が水に近いため、川の景色を眺めるのに非常に良い。淀川観光には最高のスポットなので地方の方はご利用ください。昔は舟が行き交い、港として栄えたと言う新淀川ですが、鉄橋がこの高さでは舟が入れませんね。今は安治川に大型船の港ができたので大丈夫ですが。
川幅が800m近くありますので、橋梁も非常に長い。奥に見えるのが国道43号線の伝法大橋・新伝法大橋です。43号より西には大阪ガスの工場がある酉島地区になります。

伝法駅と伝法大橋の間の築堤に、何なのかよく解らない小さなアーチがあります。低いので、さらに一段溝が掘られていて頭が当たらないように改修されています。自転車進入禁止とか書いてます。
「まにあっく阪神」によると「溝橋第十一号」と言って、阪神唯一のレンガ建築らしいのですが、まあ面白いものです。
なぜ、このサイズなのでしょう。小学生が築堤の上の踏切を渡らなくていいように作ったのでしょうか。鉄オタではない管理人にはよくわかりません。

伝法の町並みは近くの淀川駅とはかなり違い 寺と旧家が多く、歴史ある雰囲気があります。車では入りにくい街、やはり西大阪線が便利だと思います。


げんまつWEBタイガース歴史研究室