河 文雄    かわ・ふみお

富山県の生んだ不運の剛球投手。
高岡中学時代は右腕から外角に決まるドロップ、シュートの鋭さで「富山球界一の投手」と注目されて甲子園出場の期待を受けたが、戦争により大会自体が中止となったため出場できなかった。都市対抗でも活躍したが、ドロップの多投により肘を故障。
阪神入団後は1試合の完投勝利のあと故障で離脱、2ケ月間投げられず結局2年目で退団した。


1924.10.7生
出身地  富山県高岡市伏木湊町
出身校  高岡中学 官立無線電信講習所
ノンプロ  満鉄倶楽部 小樽協会
投手 右投右打

40年 夏の県大会準決勝で、甲子園初出場を果たす富山商に敗れた。
41年 夏は甲子園は戦争のため中止

42年 卒業後中国に渡り 満鉄倶楽部に入団
46年 戦後、母親が北海道の小樽出身だった縁で北海道へ 小樽協会でプレーした。
48年 都市対抗野球出場
50年 松木監督が同じ北陸の福井出身である事から大阪タイガース入団を決意 秋に大阪タイガースに入団

50年 大阪タイガース 背番号28 26歳 登板なし
51年 背番号3に変更 11試合1勝1敗 5.14 4月8日広島戦で完投勝利 肘の故障で退団

50年 小樽協会に復帰  53年選抜都市対抗に一塁手として出場
のち札幌市で開成油業を経営

実働2年 登板11試合 勝利1 敗戦1 完投1 投球回27.1 奪三振3 防御率5.14


げんまつWEBタイガース歴史研究室