木下勇   きのした・いさむ

下手投げの軟投派、夏の甲子園大会を終えてタイガースに入団した。
入団後は先発に中継ぎに大活躍で、タイガース時代の通算防御率は2点台だった。特に1940年は離脱した御園生や西村幸らの穴を見事に埋めての17勝。41年1月5日正月大会の南海戦でノーヒットノーランを記録した事もある。48年は太陽ロビンスでタイガースキラーとなった。
現役引退後は米子に戻り、高校生の指導にあたった。


1920.4.10生
出身地  鳥取県
出身校  米子中学 (現 米子東高校)
投手 右下投右打

35年 春夏甲子園に8番ライトで出場
36年 右翼手、夏の山陰大会準優勝
37年 投 手、夏の山陰大会準優勝

38年秋 大阪タイガース 背番号14番 2試合 0勝0敗
39年 19試合 4勝3敗
40年 42試合 17勝11敗 開幕投手
41年 14試合 5勝3敗
42年 24試合 7勝7敗

43年 米子鉄道管理局

44年 近畿日本

46年 米子中学監督

47年 大阪鉄道管理局

48年〜49年 大陽ロビンス
50年〜52年 西鉄ライオンズ  パ・リーグ1号本塁打を毎日・戸倉に打たれた

56年〜57年 米子東高校監督  56年には長島康夫投手を擁して夏の甲子園ベスト4
64年〜69年 米子工高監督 (春秋の中国大会へ幾度も出場)

実働11年 登板232試合 勝利70 敗戦70 完投61 投球回1225.2 奪三振344 防御率3.32


米子東高校の古曵さん 情報ありがとうございます。

げんまつWEBタイガース歴史研究室