小津正次郎   おづ・しょうじろう

元々実業団野球選手で野球には精通しており、球団創設から球団に関与していた。独自のプランを持って就任した。強引な経営で江川事件を乗り切るが、ブレイザーの辞任により計画が暗礁に乗り上げた。しかし85年優勝の基礎を作り上げたのはブルドーザーの異名をとる小津社長だ。
口癖は「フロントの姿勢がチームに反映される」であった。野球に精通している上に行動力もあり、ブレイザー監督が途中退団するような事がなければ強固な球団作りに成功したであろうと惜しまれる。



出身地   三重県
出身校   高松高等商業(現 香川大学)

高松高商では野球部 (日本ハム大社オーナーは後輩にあたる)

36年 阪神電鉄入社 阪神電鉄野球部(ノンプロ)に入った。
    球団創設時、17人しか選手がおらず 少なくて練習もままならないので手伝った。
70年 阪神電鉄本社取締役就任
78年 本社専務取締役
    10月11日 阪神タイガース社長を兼務
79年 江川-小林トレードを成立させる ブレイザー監督を招聘 球団の体質改善に取り組む
80年 ブレイザー監督の辞任により、舵取り困難となる。
84年 西本監督の招聘に取り組むも失敗 10月23日 社長解任 阪神タクシー株式会社出向


げんまつWEBタイガース歴史研究室