徳島県営蔵本球場


徳島線の蔵本駅から徒歩圏内、伊予街道沿いの徳島県営蔵本公園の中に蔵本球場がある。

蔵本には大正14年に陸軍歩兵第43連隊が置かれ、1500〜3000人の兵隊が駐屯していました。戦時中はここから四国各県はもとより中国やグァムまで遠征していたようです。
戦後、駐屯地は半分が昭和町にあった徳島医学専門学校の移転用地として1947年に現在の徳島大学医学部になる建屋が建設された。少し遅れて西側の滑走路があった場所は徳島県のスポーツ公園として開発されることとなった。
このスポーツ公園にはプール、相撲場、庭球場などがある。
蔵本球場は西の丸球場の代替施設として1952年に歩兵43連隊の跡地に作られ、両翼91m中堅116mとこの当時の球場にしては立派な広さをほこる。
球場正面の内野スタンドにあたるこのコンクリートの角ばった構造物が他にない迫力がある。両側の内野スタンドの下には室内練習場がある。
土と芝生の野球場。ナイターも完備している。
内野スタンドの高さが印象的だ。スタンドは北側にあり投手は南向きに投げ、打者は北向きに打つ配置だ。
大阪タイガース球団史(松木謙治郎著)の昭和32年度の項目に
「2月15日から徳島市蔵本球場にキャンプし、合宿生活によって選手の融和をはかり、チームワークに重点を置いた練習が開始された」とある。
阪神タイガース球団史においては「2月は霜柱の立つことが多く、午前の練習には大きな障害になったし日のかげりも早く、必ずしもキャンプ地として最適ではなかった。」とある。
日のかげりが早いのは一番上の写真でわかるように球場の南側に山が迫っているためかと思われる。
外野の球場周辺には桜が植えられておりのどかな雰囲気をかもしだしています。

写真撮影:2010年3月21日

参考資料:
 阪神タイガース発行 阪神タイガース昭和のあゆみ
 松木謙冶郎著 大阪タイガース球団史 ベースボールマガジン社

げんまつWEBタイガース歴史研究室