なつかしの神勝寺


「みろくの里神勝寺球場」と呼ばれた神勝寺グラウンド 。
広島県福山市のの中心部から15kmぐらい西、福山市の隣の沼隈町の山の中にあります。福山駅から鞆鉄バスに乗るか車で行くかしか移動手段はない。
ここには「みろくの里」と言う遊園地があって、その駐車場の端に野球場があります。「みろくの里」は常石造船という会社が運営しています。常石造船は社会人野球チーム常石鉄工の親会社になります。常石鉄工は渡辺伸彦投手の出身チームです。現在も常石鉄工チームが練習場と使用しているの神勝寺球場ですが、実はこの球場は1979年から16年間に渡り広島カープ二軍チームの本拠地として利用されていました。1993年に山口県の由宇球場が完成し、広島カープ二軍本拠地が移転したため1995年限りでウエスタンリーグの試合は開催されなくなりました。
山口県由宇といい、みろくの里といい、広島カープは不便な山の中の球場を二軍本拠地にします。これがカープのハングリー精神でしょうか。ちなみに1993年、ルーキー金本はこの球場でプレーしています。
球場はダイヤモンドが土、外野が天然芝です。
1978年オフに福岡市がフランチャイズだった西鉄ライオンズが西武に売却されて埼玉県に移転すると、広島カープがウエスタンリーグで一番西の端に位置する事になりました。そこで他球団の移動の手間などを考慮して1978年までは広島市民や呉二河で行っていたウエスタン公式戦のほとんどを神勝寺球場にて行うことにしました。1979年にはこの球場の使用開始を記念してウエスタントーナメント大会が開催されました。
ただ、やはり福山まで遠征するのはカープの側も負担となったのか、年間14試合程度にとどめるようになっていきました。従ってタイガース戦は年間2〜5試合が開催された計算です。
球場の通称は最初「神勝寺」あるいは「福山神勝寺」と呼ばれ、1989年から「みろくの里」と呼ばれるようになりました。
ウエスタンリーグの観戦は無料でした。
今でもカープの由宇球場は無料で、練習では金を取らないカープの伝統を守り続けています。
バックネット裏は一般席ではないので、観客は1塁側と3塁側のスタンドに入る事になります。その規模はあわせて1000席ぐらいでしょうか。本当に板張りで思い人が動くとミシミシ振動するなど強度に不安がありました。現在では以前よりもさらに老朽化が進み、ミシミシという音がギシギシに変わっています。
外野はみろくの里の駐車場なので、ネット越しに駐車場から直接眺めることが出来ます。両翼93m、甲子園の左中間スタンドに入るぐらいの当たりなら防球ネットを越えて駐車場に飛び出すかもしれません。
野球を観るのに障害物の少ないグラウンド、金網もあまり邪魔にならずとても見やすい球場だと思います。
球場に各種練習施設が併設されています。
写真の屋内ブルペンは4人が同時に投球を行うことが出来ます。
この隣にもうひとつ小さい室内練習場があり、2人同時に打撃練習等を行うことが出来ます。
そして狭いながらもサブグラウンド、更衣室などに利用できる大型のプレハブもあります。
1979年に作られた阪神タイガースの浜田球場と同じようなイメージです。そして同じように老朽化が進んでいます。

みろくの里神勝寺球場
現在は常石鉄工のほか、大学の野球部なども使用しているようで健在ですが、いかんせん老朽化が進んでいるので将来は不安です。
ウエスタンリーグを支えた球場として記録に残しておきたいと思います。

2007年2月アップ

げんまつWEBタイガース歴史研究室