宝塚大運動場と宝塚球場


宝塚運動場は住宅地として売却された豊中球場の代替として武庫川沿いの宝塚新温泉に阪急が建設したものだ。

阪急は宝塚線を全線開業させると宝塚に宝塚新温泉を設け、そこにパラダイス、少女歌劇団、動物園、植物園などを次々と建設した。
ここに新しく大きなスポーツ施設を建設する事にした。
宝塚運動場は1922年6月15日に完成した。総敷地面積は約33,000平方メートルで、野球場が約13,200平方メートル、スタンドが約10,000平方メートル、さらにテニスコートや小運動場があった。
野球場は本格的な内野席にコンクリート階段のスタンドを設置して25,000人の観客を収容できたという。
この球場の姿はわずかに阪急電鉄の社史、阪急ブレーブス50年史などで見ることが出来る。
日本初の職業野球チーム・日本運動協会が関東大震災で壊滅的打撃を受けたあと、1924年に阪急が宝塚野球場に引き取り宝塚運動協会として活動を続けた事は有名な話だ。宝塚運動協会が大毎野球団を激しい戦いを繰り広げ、宝塚球場の名物試合になっていった。日本プロ野球創世記の貴重なひとコマだ。
スタンドの後には選手達の合宿所もあった。

1936年に発足した職業野球リーグ戦でも宝塚球場が使用されたが西宮球場が完成した1937年以降は職業野球に使用されなくなった。その後スタンドなどは撤去され、1938年には球場跡地にはスタンドが建てられ映画撮影所となった。1942年に戦火によって一旦廃止されたが戦後に復活した。左の1947年撮影の航空写真に見られるような姿へとなった。(航空写真 国土地理院撮影の航空写真兵庫1947年)
その後、この土地は宝塚ファミリーランドの敷地を拡張するのに使われ、ファンタジーガーデンとして大人形館やスペースコースター、マッドチェイスなどが設置された。
ファミリーランド廃止後は更地として売却された。
国道176号線に面した阪急経営のタクシー用のLPガススタンドの裏あたり。
2007年2月現在、マンション建設が始まった。まもなくこの土地に高層マンションが完成する。
阪急の土地ではなくなる事もあり宝塚球場の存在も忘れられていくだろう。

制定:2007年2月15日

げんまつWEBタイガース歴史研究室