阪神競馬場


阪神タイガースはフランチャイズ球団なんですよ。
タイガースの阪神は阪神電鉄の阪神でもあるのですが、そもそもはこの地域のフランチャイズとして「阪神」と言う名を選び、大阪タイガースから改名したという歴史があります。
私達阪神の住民はすべて納得しておるのですが、どうも読売のファンの方やオリックスのファンの方はそういうのが気に食わないようで、難癖をつけはります。

どうでもいいですが。
ほな阪急沿線にある阪神競馬場は阪神電鉄のものか?  という事ですな。
もっとも、阪神競馬場は元々は鳴尾にあったのですけどね。(歴史3鳴尾球場参照

私は阪神競馬場が改築された直後など、毎週のように競馬場に行ってた競馬ファンです。
毎年12月の阪神競馬は阪神競馬場で一番楽しい開催だ。夏のG1宝塚記念が阪神競馬最大のイベントだと勘違いしやすいが、阪神競馬が一番面白いのは12月。ワールドスーパージョッキーシリーズ、鳴尾記念、阪神牝馬Sなど、阪神ならでわの個性的なレースが繰り広げられ、G1を卒業した中高年ファンにはたまらない競馬シーズンだ。もちろん、中山で開催されている有馬記念なんかも場外で購入できますし。
この阪神競馬場の全面改築工事が1991年。すごく美しくなりました。その直後に亀新ブームが起こったためだと思うが、12月の開催にタイガースのイベントが必ず開催されるようになりました。

12月3週目の日曜日、サンスポ杯阪神牝馬Sの日は入場料無料の感謝デー。阪神タイガースの選手が参加するイベントのある日です。

と言うことで、競馬ファンの血を騒がせながら競馬場へと向かいました。
新しい阪神競馬場になって、もっとも多くイベントに登場していたのは藪投手。
彼は競馬ファンで武豊ジョッキーなど競馬界に友人が多かった。

藪がいなくなった2004年オフから、イベントに参加する顔ぶれは毎年変わるようです。赤星選手が何度か勤めたあと、2005年は濱中・藤本・久保田の3人でした。

午前中から球場入りした選手達は 4レース終了後にスカイパークステージで競馬記者達と今日のレース展望のトークショー(ここでは野球の話なし)
藪選手のように競馬に詳しければ、ここでおもしろい予想をしながらファンを盛り上げます。今回のメンバーでは藤本選手ががんばっていたようですが、久保田選手は初心者だとわかりました。

その後、8レースからウィナーズサークルでプレゼンターを勤めます。ウィナーズサークルはゴール前のスタンド側にあります。勝利騎手への表彰なので、藤本も久保田も背広姿で登場します。

脱線しますが、この日のメイン 阪神牝馬Sは名牝馬・アドマイヤグルーブの引退レースでした。父親がサンデーサイレンス、母親がエアグルーブ、母の父にトニービンという血統だけで馬券を買ってしまうような馬でG1エリザベス女王杯を2度制した最強のメス馬でした。名ジョッキー武豊が騎乗してのレースは競馬ファンに見ごたえのあるすばらしい内容で最後に勝利を収めました。

写真はメインレース 武豊ジョッキーとプレゼンターとして現れた背広姿の濱中選手です。
レースの興奮さめやらぬウィナーズサークルで濱中選手は何を感じ取ったのでしょうか。
ちなみに藤本選手は武豊をはずして馬券を購入したそうで、ボロ負けです。
最終レース終了後
パドックではトークショーが開催されました。
パドックとはレース前に馬を観客に見せる設備です。パドックで馬の状態を見てファンは馬券を購入します。

写真はレース後のトークショー
右から久保田・藤本・濱中で 司会は太平洋

阪神のパドックは屋根つきのドーム型とはいえ、12月の日暮れ。
凍えそうな寒さの中で1時間ほど行われます。藤本は寒そう。
競馬にまったく興味がなさそうな阪神ファンの女の子達は、寒さの中 最終レースの出走前からパドックの最前列で場所取りしてました。までも、馬を見るためのパドックですので、どの位置からでもよく見えます。

結果は
濱中は勝ち 藤本は負け 久保田は初心者らしく楽しんだ(?)との事でした。



阪神競馬場 2005年12月18日
この年最初の大寒波が来た日でした。。。

げんまつWEBタイガース歴史研究室