用具担当 宮脇隊物語

2005年


宮脇則昭

この人知ってますか?

一軍の練習に必ずうろうろしている、やけに体格が良くて冬でも白いTシャツを着ている人。この人こそ1軍用具担当、宮脇さんだ。
宮脇はサブマネージャーと用具担当を兼務している。
もともと選手、88年に入団し、投手としても打者としても期待されながら3年の選手生活を送り、3年目の秋季キャンプを終えた時、チームの大型トレードも完了して戦力外となりフロントに転進した。
選手時代よりムチムチにがっしりした体は、フロント用具担当の激務を見せつけるものだ。写真では不調のピッチングマシンを整備しているところ。練習に必要な用具はすべて宮脇が手配し整備する。練習にキャンプに欠かせない存在、それが用具担当だ。
そんな宮脇と宮脇隊のキャンプ最終日をレポしてみた。

宮脇隊集合

04年11月15日、倉敷秋季キャンプ最終日
キャンプの最後の日は用具担当にとって非常に忙しい。使用した用具の撤収作業があるのだ。もちろん、すべての作業は宮脇1人の力では無理だ。
朝9時、車列を組んで6台のワンボックス車が到着、車にはアシックス・ゼット・SSK・那須・デサント・ミズノとかかれている。そう、宮脇の手下として働く運動用具メーカーのタイガース営業担当が全員駆けつけたのだ。
宮脇は彼らの手伝いを受けながら撤収作業に入る。これを我々は宮脇隊と呼ぶ。

装置搬出

球場に選手が到着する前、9時30分頃
球場に1台のユニックが到着した。宮脇たちはユニックでトラックに3台のピッチングマシンを積み始めた。このピッチングマシンは通常甲子園の室内練習場に設置されているものらしい。ヨシダのが2台、日新が1台だった。
マシンが運ばれてきてからの作業は手馴れたもの、宮脇の指示に従って運転手がユニックを操作、次々とマシンを二台に積み上げた。約10分ほどで作業は完了した。

用具類積み込み

グラブ・ミット・ボール・ダンベル・ウエイト器具・タイヤ・ネットなどの用具類は前日のうちにあらかじめ撤収し、1塁側3塁側通路に並べておいた。10トントラックが到着し、宮脇隊の人海戦術で次々と用具が積み込まれていく。なかなか営業の手伝組も体格がよく動きがいい。宮脇の指示で重いものから次々と下から上へ積み上げられる。1塁側が終われば3塁側へトラックをまわし、すべての荷物を積み込んだ。合計でも30分かからない早業だった。
 →  →  → 
通路に用具を準備     次々と運び出し        通路すっきり         見事に搬出

用具担当仕事

用具担当は、その名の通り、試合や練習に使用する用具全般を担当する。
新規品・不足品調達、不良品修理、廃却、在庫管理、輸送
キャンプなどでは甲子園球場から多数の設備を移設する。安芸市営球場には阪神タイガース専用の倉庫があり、使用しない用具はそこに置けるが、倉敷など他の球場ではそうはいかない。すべて、持込持帰が原則となる。監督から指導方針を聞き必要な用具を準備する。その用具は甲子園のどの場所、鳴尾浜のどの場所から持ち出したかを把握し、元に戻す必要がある。宮脇はすでにベテラン、すべて任せきれる男だ。
(宮脇は2006年まで用具担当)

二軍

ファームは宮脇の仕事ではない。ファームには藤本修二用具担当がいる。
藤本の担当は鳴尾浜球場の設備、二軍遠征、二軍キャンプだ。もともと、ファームの用具担当は仙人ではなくフロントの渉外担当や打撃投手などが兼務していた事が多い。そんななか鳴尾浜球場や一軍二軍分離キャンプなどファームの仕事が増えたので藤本が専任となって頑張っている。
試合中は煙草を吸って休憩しているにゃんこだが、試合前後ではキビキビと用具担当としてマシンの調整やネットの運搬など素早くこなしている。

(藤本は2007年から一軍用具担当)

げんまつWEBタイガース歴史研究室