安達智次郎   あだち・ともじろう (安達克哉)

高校時代からMAX147kmを記録し、剛球投手として注目されドラフト1位入団。
1年目はウエスタンのローテーションに入ったが、長く二軍生活を送るうちにフォームも大きく変わり果て、球威ある速球はよみがえらなかった。技術的には強い上半身に下半身がついていかなかったと言われたように、当時のタイガースは下半身のトレーニングメニューが甘かった。野手転向や野村監督の投手再生を経て自由契約、「ファンに戻ってタイガースを応援する」と宣言し現役引退したが、半年後に打撃投手のバイトから打撃投手として裏方として採用され再びタイガースのユニフォームを着た。


1974.8.21生
出身地  兵庫県神戸市長田区
出身校  村野工業高校
投手 左投左打

丸山小学校3年生の頃「雲雀ブラッキング」に入団し、本格的に野球をはじめる
雲雀中学時代は「神戸ドラゴンズ」 2年生まで一塁手だったが3年生で投手になる
90年 村野工業に入学 田中監督の指導を受ける
91年 夏甲子園出場 1回戦負け
92年 春二期連続で甲子園出場 1回戦負け 92年ドラフト1位で松井秀樹(読売)の外れ1位として阪神タイガースに入団

93年 阪神タイガース 背番号12 (W17試合 4勝7敗 3.36 規定投球回 ウエスタン12位)
94年 アパラチアンリーグ・ブリストルに3ケ月野球留学(W7試合 1勝2敗 4.00 故障)
95年 克哉に改名 (W19試合 2勝4敗1S 5.93)
96年 (W6試合 14.73)
97年 背番号99に変更 智次郎にもどす (W9試合 10.03)
98年 外野手転向 (W47試合 3打点 .236)
99年 サイドスローで投手再転向 (W16試合 1敗 4.40)  自由契約

00年 アパレルメーカー就職、夏からバイトで阪神打撃投手となる 背番号110
01年 打撃投手で正式採用 背番号110
02年 打撃投手    解雇

実働なし

03年〜 神戸・三宮でバー「ロケットボール」経営
       移転して現在地は神戸市中央区中山手通1丁目17−6北野フェニックス3F (営業中)
04年〜 流通科学大学硬式野球部特別コーチ
07年〜 「和牛つけ鍋 もりもと 本店」 西宮市小松町2-5-18  (閉店)


げんまつWEBタイガース歴史研究室