デーブ・ヒルトン   John David Hilton

ヤクルトを解雇され、ブレイザー監督の意向により入団した。
十分な説明が報道されなかったため「ドラフト1位の岡田を使わない」事に対しての不満がファンから沸き上がり、そのプレッシャーから開幕直後に不振に陥った。勝てないファンの怒りの矛先をすべて受け、試合後ファンからタマゴを投げつけられる等の暴動事件に発展した(ヒルトン事件)。
帰国してしまったわけだが、このあとブレイザー監督の解任問題に発展する。


1950.9.15生
出身地   アメリカテキサス州ウバルデ
出身校   ライス大学 
二塁手 右投右打

72年〜75年 パドレス 三塁手

78年〜79年 ヤクルトスワローズ   78年オールスター出場  79年オフに解雇

80年 阪神タイガース 背番号42  18試合 71打数 14安打 4打点 0本塁打 打率.197  5月退団

81年 3Aポートランド
1A監督
ミネソタ・ツインズ スカウト

実働3年 出場251試合 打数971 安打276 本塁打38 打点128 盗塁7 打率.284


げんまつWEBタイガース歴史研究室