中原 宏   なかはら・ひろし

岐阜市の風呂屋の息子。
戦後、大日本土木に復帰し、都市対抗で2年連続優勝した。ドロップがすごかったという。引退後のコーチ歴は長く、63歳までコーチを続けた。


1923.8.29生
出身地  岐阜県
出身校  享栄商業(愛知県)
ノンプロ  大日本土木
投手 右投右打

43年 阪神 背番号9  9試合1勝1敗  応召する

戦時中は北モンゴル ウランバートルの部隊に入る

46年 大日本土木 都市対抗優勝 全試合完投で橋戸賞受賞
47年 都市対抗出場 4番加藤(近鉄)

48年〜55年 南海ホークス プロ復帰 49年1イニング最多暴投3個を記録

56年〜58年 南海コーチ
61年〜65年 南海コーチ
66年〜67年 サンケイコーチ 67年5月から29試合代理監督も勤める
69年〜73年 近鉄コーチ
76年〜79年 阪急コーチ
81年〜85年 南海コーチ

実働9年 登板213試合 勝利67 敗戦52 完投48 投球回1092.2 奪三振444 防御率3.24


げんまつWEBタイガース歴史研究室